瀬戸市は、瀬戸村、赤津、品野、水野、幡山、菱野、今村、などの合併で成り立ちます。旧瀬戸村エリアのお盆は新盆と言われる7月盆です。旧暦7月がお盆期間なので普通は8月なのですが、新暦7月に盆礼を行う瀬戸のお盆。三河の猿投から嫁いだ母は、瀬戸に嫁に来て良かったのはお盆が違っていて8月盆に里帰りできることだと7月盆を喜んでいました。瀬戸のお盆とはどんな行事なのか、私の実家で行っているやり方を記したいと思います。①お施餓鬼(施食会)私の実家の宗派は、曹洞宗です。800年前 鎌倉時代、陶祖藤四郎は曹洞宗開祖道元に従って中国(宋)に渡り、焼き物を学んだといいます。瀬戸市に曹洞宗のお寺が多くあるのは、そのことと、関係あるのかもしれません。お盆の前に施餓鬼というお寺での法要があります。文字通り餓鬼に施しをする仏事です。餓鬼とは弔う人のない無縁仏やこの世で罪を犯した成仏できない仏様です。現代では、餓鬼という言葉が差別的だと施食会(せじきえ)と呼びます。毎年必ず行う物ではありませんが、亡くなって最初のお盆(初盆)の前には手厚くします。それは、あの世に行った身内が、新参者として受け入れていただけるようこの世から徳を積んでさしあげよう、というものです。私の父は46歳で突然亡くなり、家族の悲しみは例えようもないものでした。中でも母親である祖母は、「にいちゃん(父をそう呼んでました)が、あの世でようしてまえる(良くしてもらえる)ように」と施餓鬼をあげました。戒名を書いた四角い袋にお米を詰めてお供えし、お経をあげてもらいます。親族もお寺に集まり、一緒にお参りします。施しをすることで仏様のあの世での生きやすさ(?)を願う行事です。②お盆準備7月に入ると、瀬戸市内の八百屋などでは、麻がらの箸、薄板の皿、割松のたいまつが売られ始めます。仏様のお膳を整える物、お迎えするための物。初盆の家には、親戚から提灯が贈られます。初めての帰り道を明るく照らして、自分の家がよくわかるように。家にもお墓にもホオズキを飾ります。赤いホオズキは、提灯。仏様はまずホオズキの灯りを頼りにお墓に現れ、家のホオズキに向かってやってきます。仏様は、あの世からお盆の期間限定で帰省するのです。③お供えのご馳走その家の仏様の数より多めの小さな食器を並べて、おもてなしをします。特に初盆の家は、新米の仏に帰るところの無い無縁仏が着いてくるので、多数のおもてなしが必要です。1日目、だんご。米粉を蒸した丸いだんごを、朝にお供え。2日目、おはぎ。あんでもきなこでも、お昼にお供え。3日目、朝ごはん、だんご。その間、冷麦、すいか、野菜が色々入る七色汁。それぞれ少しずつ小さな食器に盛ります。まるでままごとのようです。他に、故人が好きだったメニュー。我が家は亡父の好きだったチキンカレーを供えます。④迎え火、送り火7月13日の夕方、各家の前でたいまつの火が焚かれます。仏様を迎える、うちはココだよ帰っておいでと示す火です。送り火は、7月15日の夕方。お供えをした物と、大豆の若葉に塩と味噌をそれぞれ包んで紐で結び、牛ナスに掛けて土産にします。馬キュウリ、牛ナス。箸で足を作り供えます。来る時は馬で早く駆けて来て、帰りは牛でゆっくり帰る。家を懐かしむ仏様と家族の気持ちに寄り添うしきたりだと母は言っていました。⑤精霊流しお盆に帰ってきた仏様のことを、おしょろいさんと呼びます。お精霊さん。7月15日、送り火を焚いた後、おしょろいさんはあの世に帰られます。父が亡くなった50年前には、家から線香に火をつけて歩いて煙をたなびかせて送ったのですが、それは今は危ないのでできません。ただ、持っていったお供えとお土産を手を合わせて分別カゴに入れ、流します。昔は、瀬戸市中心市街地を流れる瀬戸川に流していたそうですが、現在は夕方になると、そのほとりに何箇所か流す場所が設けられます。見た目はゴミ収集車ですが、それは精霊流しの船なのです。以前はホオズキの仏花を流して、代わりの仏花を売る露店が宮前に出ていましたが、それも見かけなくなりました。近所の人同士、送る人帰る人と行き交い、「行ってりゃあたか。お疲れさんやったね。」「帰らっせたわ。まぁ年々えらなってまって、来年やれるやろぉか。」「丈夫でおらなかんよ。」と3日間のお接待を労い合うのも夏の風物詩です。お盆が終わると、瀬戸に暑い真夏がやってきます。私の家のお盆のお話です。宗派の違いやお寺によってやり方はそれぞれのお宅で変わると思います。ひとつの例だと思って、ここに記すことをお許しください。ほんに瀬戸瀬戸よいところ瀬戸は火の町土の町チョイト土の町※サムネイル写真:せと末広町商店街