昭和30年代40年代、鉄板のある駄菓子屋に子ども達は集まって、放課後や夏休みを過ごしていました。瀬戸市中心市街地の駄菓子を思い出すままに書いてみます。①すけさ(フクロウの店)洞町にある鉄板のある駄菓子屋。昼間は近所のおばあちゃん達の溜まり場。玉せんが人気でした。②いしや鉄板あり。③ヒマラヤ陶祖公園の橋のたもと。駄菓子だけでなく、パン、ラーメン、レトルト食品も有って下宿生の味方。④たけだ(竹田そろばんの前)鉄板あり。そろばん塾は出入り自由で、学童保育のような役割を担っていました。⑤たけだ(深川小学校前)鉄板はないけど、おばあちゃんが作るみつ豆やおでんが人気。かき氷、せんじが15円、いちご20円。氷が無くなりそうになると、おばあちゃんは店にいる子どもに下の氷屋へお使いを頼みます。買い物カゴに氷を買ってくると練乳をお駄賃にかけてくれるので、みんなお使いしたかった。⑥かどや宮脇橋から撮影。取り壊されました。串に刺さった硬めのたこ焼きが人気でした。味噌おでん、みたらし団子など。隣の氷屋は、営業しているようです。⑦もりもと鉄板あり。⑧おがわおもちゃくじ、貸本、紙の着せ替え人形。端切れの布詰め合わせ。イラスト:着せ替えイメージ(絵は描きました)。隣は金魚屋。「ひっかけ」と呼ばれる釣り針に餌を付けず魚の口やひれに引っ掛けて釣る釣り堀がありました。釣った数と魚の種類(フナとかライギョ)で点数を競います。大人も夢中になりました。⑨八千代(いさぼ)おもちゃくじがたくさんある駄菓子屋。紙の蓋を破って中身を出すくじ、モデルガンが当たる引きくじなど。近くに銭湯えびす湯、石神遊戯弓道場(どちらも閉店)もあって、楽しい地域でした。いさぼというのは、以前のここの家の子どもさんの名前らしいです。⑩ひろみ屋菓子店鉄板あり。おばちゃんの名前がひろみなのかなぁ。※参考:『ますきち』Instagramより。コロナ禍前までやってました。もちもち麺のソース焼きそば。おばちゃんの五目飯やちらし寿司おいしかった。瀬戸のお好み焼きは、小麦粉を溶いた種(たね)を薄く丸く伸ばして台を作ります。キャベツ、肉を乗せた上にまた種をかけてひっくり返します。ネギとかつお節だけなら10円。玉せんも以前は高級品でした。子ども達はタコせんべいにソースを塗って焼いたものをお小遣いで買っていました。おばあちゃんの肩たたき、おつかい、お手伝い。10円また10円、せっせとお小遣いを稼いだ子ども達。たいてい自分の貯金箱を持っていました。瀬戸の産業がフル回転していたから両親たちは忙しく、家の手伝いはして当たり前でした。もちろん決められたお小遣いもあったでしょうが、ねだって買ってもらうより、自分のお金を使うのは楽しいですよね。みんなたくましかったなぁ。現在OPEN:ちぇ・ろっく現在、せと末広町商店街に駄菓子屋さんが一軒開業しています。「ちぇ・ろっく」さんです。「もったいない精神」と「駄菓子屋」を文化として遺したいとの思いでオープンされました。まだ鉄板は無いけれど、将来的には玉せんができたらいいなとオーナーの古川有紀子さんはおっしゃっています。私と駄菓子屋私は、せと末広町商店街に生まれ育ちました。周りには駄菓子屋がたくさんあり、今日は何処へ行こうかと迷うほど。10円持っているとして、ソースたこせんなら鉄板のある店に行かなければいけません。飴やストローに入ったゼリーが1円(2つで1円というのもありました)、紙の着せ替え人形が10円。それも何種類もありました。迷います。飴とゼリーを買って、おつりをもらうこともありました。迷う私を、おばちゃんは根気よく待ってくれました。10円の使い道は無限だと思っていました。飴が欲しいのではなく、迷うことが楽しかったのです。迷って迷って決めた買い物が楽しい思い出になっています。ありがとう、駄菓子屋のおばちゃんたち。ほんに瀬戸瀬戸よいところ瀬戸は火の町土の町チヨイト 土の町♪