“せとでん”のはじまり名鉄瀬戸線、通称せとでん。栄町駅、尾張瀬戸駅間を走る、単独路線です。幼い時から今も乗り、親しんでいます。明治38年(1905)「瀬戸自動鉄道」として、運転が始まりました。その時は、矢田→瀬戸の間を蒸気動車が走りました。1年後電気動力に転換、「瀬戸電気鉄道株式会社」となりました。せとでんの始まりです。かつては、名古屋城のお堀を走っていた昭和14(1939)年 9月1日 名鉄と合併、名鉄瀬戸線となりました。古くは二両編成、緑の車両。現在、瀬戸蔵ミュージアムに保存されるかわいい電車。この頃は、始発「堀川」。堀川駅から、清水駅の手前まで、名古屋城の外堀を走ります。土居下駅、大津町駅、本町駅辺りから石垣が見えて、名古屋城正門の橋をくぐります。そして、終点堀川駅。堀川駅に行ったことはないのですが、堀川というのは、その名の通りお城の堀を名古屋港まで繋ぐ水路です。🎵瀬戸のナァ瀬戸の瀬戸物だてには焼かぬどんと積み出しゃ七つの海へと、瀬戸音頭5番に歌われたように、せとものを海外に運ぶ大型船に乗せるため、小型の船で堀川から名古屋港へ積み出していたのです。緑の車両は、木の床。ステップが高く、ホームと電車の間が空いていて、子どもは手すりにつかまってエイヤッという感じで乗りました。手動ドアの掛け金を乗客がガチャンと掛けると、出発進行。せとでんと思い出[写真:瀬戸蔵ミュージアムにて]いつも祖父母とお寺参りに連れられて乗っていた子どもの私は、「ガチャン」がやりたくてやりたくて、祖母に言うと「危なぁで子どもはイカン」と、やらせてもらえません。ある時、尾張瀬戸駅を発車した後、掛け方が浅かったのかドアがガラガラと開いてしまいました。落ちたら危険なので、誰も扉に近寄らず、次の瀬戸市役所駅まで開いたままガッタンゴットン。大人だってしくじることはあると、知った私でした。線路はカーブが多く、車体はギイギイ音を立てて揺れるため、吊り革の持ち手が荷物棚に当たって、カンカン音を立てていました。栄町乗り入れ前は、名古屋城のお堀の中にある大津町駅で降りて栄まで歩くのが瀬戸の若者のお決まり。今はなき、大津町駅で降りて、階段を上がると「名古屋の街に来たー!」とワクワクしました。今も、その階段だけが残っています。以前、聖霊中学と高校もこの近く三の丸にありました。1970年瀬戸市に新校舎が完成して、引っ越ししました。[写真:電車が90度曲がるサンチェーンという見どころ]昭和51(1976)年年2月14日、外堀に別れを告げる「さよなら電車」が堀川駅に到着し、お堀電車は伝説となりました。栄町に乗り入れるまで、土居下駅で折り返し運転。昭和53(1978)年8月20日、晴れて地下線による栄町駅への乗り入れが開始されました。栄町に田舎のせとでん乗り入れるの、恥ずかしいと瀬戸の若者たちは、嬉しいくせに照れていましたね。話は前後しますが、昭和48(1973)年夏。本線から赤に白いラインの3700系車両を転入。赤いせとでんの始まりです。輸送量は増強、全車自動ドアとなりました。時代と共に赤い車両も進化していきます。シルバーの車両も加わって、せとでんの走る本数も増え、終電時間も遅くなっていきます。平成26(2014)年4月6日、「赤いせとでん」のさよなら運転が行われ、現在シルバーの車両2種が、尾張瀬戸、尾張旭、栄町を結んでいます。地上を走っていた線路は、高架化が進み、清水駅から大曽根駅が高架に。現在は、小幡駅から大森金城学園駅手前まで上り側が高架化され、下りが高架工事中です。森下駅から歩いて10分の所にある、名古屋陶磁器会館(名古屋市東区徳川町1丁目)。こちらでは、名古屋絵付けの素晴らしい逸品を見ることができます。戦前から、瀬戸で焼かれた生地に手の込んだ上絵付けを施して輸出する、商談の場所でした。敗戦後、占領された日本の品という意味のオキュパイドジャパンの印の付いた焼き物を、米兵たちはお土産に大変喜んだそうです。芸者の透かし、花鳥風月、寺社、富士山。卵の殻のように薄く、軽く、美しい絵の描かれた焼き物は、アメリカにはありませんでした。占領軍が、もっともっとと、せとものを推進して発展させたことが、この場所でわかります。近くには、見本を見せて商談をした、商社跡の洋館 撞木館(しゅもくかん)も保存されています。瀬戸と名古屋城の深いつながりせとでんは、瀬戸と堀川を繋ぐだけでなく、分業の地名古屋絵付けの工場も経由していたのです。昔は、郵便の袋や新聞も運転席に乗せられて、色々な役目を担っていたせとでん。瀬戸はもともと名古屋城との繋がりが深く、水野の定光寺には、尾張徳川家の廟もあります。瀬戸の七釉のひとつ、御深井釉(おふけゆう)と呼ばれる青みがかった焼きものも、名古屋城内の御深井丸との関係があるそうです。伝統的な瀬戸の絵付けの文様に、柳の絵柄があるのも、名古屋城を柳城(りゅうじょう)と呼んだことと無縁ではないでしょう。立派なお城を親しんで、縁起の良いものとしたのだと思われます。せとでんが、畏れ多くもお城のお堀を走ることと、まんざら関係が無いわけではないかもね、と想像しております。🎵ほんにセトセト良いところ瀬戸は火の町 土の町チョイト土の町RM LIBRARY 名鉄瀬戸線-お堀電車廃止からの日々-清水 武 著参考にさせていただきました。