瀬戸市内の商店街は幾つもありますが、ここでは生まれ育ったせと末広町商店街についてのお話をしたいと思います。夜中まで賑わっていた、昭和30年代私が生まれ育ったのは末広商店街、今のせと末広町商店街です。昭和30年代(1955年〜1965年頃)、瀬戸は輸出景気に沸き、集団就職で地方からやってきた若い人が働く、活気のある街でした。1日(朔)・15日は、陶器工場の給料日。お金を持った人々は商店街に繰り出し、映画を見て、パチンコやって、食事をして、酒を酌み交わす。夜中まで人の流れは絶えず、賑わいました。昭和39(1964)年、銀座通りと末広商店街は、アーケードが完成。瀬戸市内の商店街連合で歌手を呼んで、旧市民会館今の瀬戸蔵で歌謡ショーが毎年開かれました。ガラガラ抽選会で当たった人が招待されます。畠山みどり、黛ジュン(まゆずみ ジュン)、村田英雄、森進一、ヒデとロザンナ🎵 [写真:歌謡ショウの横断幕を背景に。左から姉、わたし、いとこ]それまで固定相場1ドル360円だった円相場が、1973年変動相場制になりました。輸出に翳りが出始めたと共に、大人数で大量に作られた瀬戸の雇用にも変化が現れました。 商店街の賑わいも、少しづつ変わってきました。それでも、まだまだ元気。末広商店街発展会が末広商店街振興組合に代わり、せと末広町商店街振興組合へと移行。瀬戸市内の商店街全体で行なっていた抽選会は、単独企画となります。特賞は一泊旅行、米一年分、軽自動車など。各店も、特別価格のセールを展開しました。 しかし年々古くなるアーケード。時々の補修はしているものの、柱や吊り行燈は地震が来たら怖い状態になってきました。撤去か改修かで迷いもありましたが、組合員みんなで議論を重ねて、平成26(2014)年にアーケード耐震工事竣工。安心安全な商店街となりました。 物を売るのが商店だけど、買い物だけじゃない。ぶらぶらするのが楽しい。待ち合わせしなくても誰かに会える街。おしゃれして出かけ、おしゃべりできる街。いつの時代も、商店街はそんな場所です。 青山文恵ちゃんと立ち上げた「市民団体ツタワルテシゴト」青山文恵は、1962年生まれ。瀬戸市菱野団地で育ち、大学卒業後名古屋のアパレル会社に就職。営業でやって来た「せと末広町商店街」のブティック店長に引き抜かれ、商店街の人になりました。センスが良くて、人柄もいい。たちまち商店街の人気者。それが縁で、商店街の中の電気屋の息子と結婚。おかみさんになりました。 「昔は良かった、瀬戸は終わった」と言う年寄りにウンザリしていた私たち。彼女は、やれる事をやろうと、市民団体ツタワルテシゴトを発足。商店街の良さをアピールするマルシェを開きます。マルシェ参加者に、空き店舗を紹介したり、瀬戸の街を歩いてもらいます。彼女自身も布の作家であり、様々な手仕事を体験できる、スエヒロラボを開催して、「売る」だけでは無い商店街での楽しさを伝えようとしました。作家を招いて、技術を学ぶ、◯月のテナライ。街に溶けこむアートの展示、「Art Walk ホウボウ」を誘致。時にはやりたいことを抱えすぎて、突っ走る彼女にブレーキを掛けることもありましたが、私も楽しかった。この街は、まだイケると思えました。街と共に暮らして、古くからある手仕事を大切にしながら、時代を前に進む。それを発信するSNS、せと末広町商店街Facebook(非公認)を立ち上げました。「まあちゃん、これ書いてね」と軽く振られて、10年。公式ページができる、昨年末まで続けました。定番品を扱う店、欲しいだけ計り売りの店、修理をしてくれる店、瀬戸中心市街地の歴史や見どころを紹介しました。文恵ちゃんが居たから、街の良さに気づき、未来が見えました。それを形にしたかわいいマップを作るのが、彼女の夢でした。クリエーターリリコマジュさんの協力で完成した「せと末広町商店街 あるいてみてんmap」。病気と闘いながら校正、それが最期の作品となりました。2020年初夏、他界しました。今もアーケードに声が聞こえる気がします。花嫁道中の発案者・路先生(みっちゃん) 大竹路恵さんは、1955年新瀬戸駅前生まれ。姉と高校の時の同級生で、美容師のお母さんと共に、路(みち)美容室を経営。街の賑わいを作るために、様々な企画を始めました。深川神社 初えびす。七福神を市民から募り、三河漫才と共に恵比寿、大黒、弁天、毘沙門天、福禄寿、寿老人、仮装で瀬戸中心市街地商店街を練り歩いて福銭を配布します。着付けは全て、路先生の美容室が行いました。 陶祖まつり JIMO婚花嫁道中。人力車に、本物の花嫁花婿が乗り、瀬戸中心市街地商店街を「嫁入りよぉ〜、嫁入りよぉ〜」と練り歩きます。親族の他、よさこい舞踏 陶龍門の面々が付き添い、途中で演舞を披露しました。陶龍門もまた、路先生が街にたむろする行き場のない若者を集めて、踊りを始めた会です。「来る福招き猫まつりin瀬戸」の猫メイクをはじめたのも、路先生 「来る福招き猫まつりin瀬戸」のまち歩きを、猫になって楽しもうと路先生が始めました。先生は、商店街のおかみさんたちを集めて、猫メイク講習会を開きます。私たちも習って、お客様にメイクをしました。後には、美容学校の生徒さんたちがボランティアに来てくださるようになりました。それも路先生が働きかけたものです。素人の私たちが人さまの顔にヒゲを描くのはとても緊張しましたが、これが大評判! 街は猫だらけ! 招き猫まつりのメインイベントとなりました。 コロナ禍前には、定期的に歌声喫茶も開いていました。みんなが知っている懐かしい歌をみんなで歌い、楽しむものです。 どんなイベントも前もって挨拶に来られて、終わったらまた協力に感謝して回られる。街を笑顔にしたいと、いつも一生懸命で礼儀を重んじる方でした。2021年春。もうすぐ桜が咲くという頃、急死されました。本当に残念です。 商店街や周辺に新しい人がやって来て、思いがけない事業を始めていますアートスペースカフェ、コーヒー自家焙煎、ハード系パン屋、トランシルヴァニア料理、瀬戸の森の木を使った手作りボールペン、シェアキッチンetc 末広町商店街の先にある「ものづくりと暮らしのミュージアム[瀬戸民藝館]」が開館したのは、2022年5月。尾張瀬戸駅から、川向こうの「せと銀座通り商店街」、「せと末広町商店街」、そして、洞町窯垣の小径への魅力的な散策ルートができました。 特に大きな観光スポットではなく、路地や店舗を巡りながらその街の空気を楽しむ。長崎市で始まった、「長崎さるく」という観光の考え方。さるくとは長崎の言葉で、ぶらぶら歩きという意味です。私はこの言葉と考え方が大好きです。元々散歩好きなので、子どもの頃から瀬戸の路地を歩いて、窯垣を見つけたりペケの陶器を拾うのが趣味でした。商店街もそんなぶらぶら歩きのプチ観光地になってきているのが、嬉しいです。ほんに瀬戸瀬戸よいところ瀬戸は火の町土の町チヨイト 土の町