ゲストハウスを開く。その決断のお話をしますこんにちは、南慎太郎です。僕の連載「ますきち5周年への道」も3回目。前回は、学生時代前編として、大学3年生までのことを書きました。それまでの経験や考え方が、学生時代後編となる今回に影響しています。ぜひ合わせて、ご覧ください。今回は「ゲストハウスを開こう」と決めるお話しになります。第1回: 大学卒業後、地元で宿を起業。南慎太郎は何者なのか?第2回: なぜ大学卒業後に地元へUターンし、宿を起業したのか? 〜学生時代前編〜大学3年目の終わり。就活への葛藤大学3年生になってから、周りも自分も進路を意識するようになりました。「大学院進学」か「就職活動」か。そうするのが必然かのように2択で考えていました。ただ、大学院への進学の道は、勉強に対してそこまでの熱量を持てなかったからです。2年間でかかるお金のことを考えると、自分にはもったいない選択のようにも思えました。そうして、大学3年生の終わりに、就職活動をすることに決めました。その頃には、他の同級生は、インターンシップも終えて、エントリーシートを何十社と出して、選考に進んでいました。しかし、なかなかモチベーションが湧きません。というのも、前回の記事にあった通り、まだ心が落ち着いておらず、自分の好きなものさえもわからなく、何を仕事にしていいのか考えられなかったからです。同時に、就活自体に疑問を持つようになります。少子化の時代で、どの企業も人手不足に落ち合っているのに、どうして何十社も受けないといけないのだろうと。世の中の企業のごく一部の大企業だけが人気で倍率が高いけれど、そこに固執しなければ、もっとゆったりと進路を決められるのではないかと。ガッツリと就活をする気力もなかったこともあり、もともと興味のあった食品系の会社1社だけを受けることにしました。落ちてしまったら、2年くらいフリーターをしながら、自分がやりたいと思えるものを探そうと考えていました。結果、その企業からは内定はもらえず、僕の就活は幕を閉じました。大学4年生。卒業したら何をしようか。大学生活最後の1年がやってきました。単位はほとんど取り終えていたため、友人は就活を続けていたり、無事内定が決まったりをしている中で、僕には時間が余っていました。そこで、卒業をしたら、何がしたいか考えました。そこで、学生時代に旅をする中で、地域ごとの違いに面白さを感じたこと、町の個人店を目指して散策することが楽しかったことを思い出し、日本のいろんな地域で暮らしてみたいと漠然と思い描きました。しかしお金はあまりありません。そこで、宿泊施設で働きながらなら、気になる地域を数ヶ月おきに転々とできるのではないかと思いつきました。さらに、ゲストハウスなら、地域のこともいろいろ教えてくれそう!ということで、全国のゲストハウスを調べるように。調べるうちに、個人で経営しているゲストハウスが日本全国で増えていることに気づきました。また、あまりお金がなくても、空き家を活用して、クラウドファンディングによって、1から立ち上げた人がいることもわかりました。これまで、働く= 就職だと考えていた自分にとって、宿を立ち上げるということがすごく魅力的に見えました。ゲストハウスを開くなら、どこにするか「宿を立ち上げる」ことを思いついたら、とてもワクワクしてきたのを覚えています。何をしたい良いかは全くわからなかったけれど、就活の時にはなかった前向きな感情でした。まずは、自分がどんな宿をやってみたいのか考えてみました。町の歴史やおすすめのお店を伝えるような宿にしよう。都市や観光地だと、もともと目的が決まって来られる方が多いので、僕がやりたい宿とは違うのではないか。それに、高い家賃のために毎日忙しく働くのはいやだ。そうしたら観光地でなく、宿の競合も少ない伝統産業があるような産地で、宿をやってみるのが良さそうだ。次に、具体的な場所を考えてみました。実際に、観光地でも都市でもない、伝統産業のある地域で、宿をやっているところがあるのか、候補地と参考事例を同時に探し始めます。参考になるなと思ったのが、山口県萩市の「ruco」と、広島県尾道市の「あなごの寝床」でした。どちらも、町との繋がりかた、立ち上げ方など、とても参考になりました。また、日本全国を調べる中で、自分の地元瀬戸市のことが頭をよぎりました。まさに、都市でも観光地でもなく、伝統産業がある町だと。瀬戸市の中でも、住宅地に生まれ育ったために、瀬戸市の昔からあるエリアや焼き物関係の方との繋がりはなかったものの、自分が知らなかった、気づけなかっただけで、魅力がある町なのかもしれない。そこで、改めて地元の瀬戸市について調べました。地元瀬戸市でゲストハウスを開く焼き物の産地で「せともの」という名前はとても有名。尾張瀬戸駅付近には、アーケードのある商店街が2つもある。自然も豊かで、岩屋堂・定光寺といった紅葉の名所もある。せともの祭り、窯めぐりなど、年間通してイベントも開催されている。一方で、観光地化はされておらず、宿泊施設は少ない。実は、自分が理想とするゲストハウスを開くには、最適な場所なのではないかと考えました。それに、Uターンだったら、地元の人も受け入れてもらいやすいのではないかといった打算的な気持ちもありました。そこで、さらに瀬戸市について調べてみたところ、ちょうどその頃空き家活用にむけたプロジェクトが、市で行われていることもわかりました。気持ちも盛り上がってきました。そして、地元の同級生が行政関係で勤めていたため、その友人に空き家活用プロジェクトの担当の方を紹介してもらいました。物件探しそこで、北海道から電話をしたところ、その担当者の方がまさかの同じ北海道大学出身。会話も弾み、2週間後に夏休みの帰省をするタイミングの時に、町の方と物件を紹介してもらえることに。この時、帰省までに事業計画書を作ってきてほしいと言われたため、急遽人生初めての事業計画書作りが始まりました。事業計画書作りまず、書店に向かい、「だれでも出来る、事業計画書の作り方」みたいな本を買いました。一晩かけて読み込み、「事業計画書を作るために必要なことが足りなすぎる」ということがわかりました。自分の経験値はもちろん、町のことも、どんな人が今瀬戸市に来ているのか、周辺にどんなお店があるのか。それと同時に、この時点で自分が作りたいゲストハウスのこと、それによってどういう影響を町に与えたいのか、そもそも経営的に成り立つのかについては、しっかり考えておく必要を感じました。そこで、まずは本に書いてあったフォーマットに沿って、わかる範囲で計画書を作成してみました。それが、こちらになります。収支計画については、インターネットで公開されているゲストハウスのオーナーさんがいたため、参考にさせてもらいました。◯不安を分解する未熟ではあるものの事業計画書も完成して、もうすぐ瀬戸に帰省するというタイミングで漠然とした不安が襲ってきました。就活もまともに行わなかったのに、起業なんて本当にできるのだろうか。ここで、自分が何に不安を感じているのか考えてみました。お金、将来のこと、周りの目、やめたくなったらどうするのか、など何に不安になっているのかがわかると、少し楽になりました。その上で、一つひとつ考えをまとめました。◯お金について開業資金でいくらまで使うのか決めよう。その上で、出来る方法を考えよう。空き家を活用してDIYをすれば、300万円以内で収まるのではないか。借金は、最悪の場合アルバイトすれば返せる額までにしよう。残りの金額はこれからの学生生活でアルバイトをするのと、クラウドファンディングを活用しよう。応援してもらえるようなゲストハウスにしよう。運転資金や自分が生きていく生活費についてはいくら必要なのだろう。まずは、自分が愉快に暮らすために必要なお金がいくらなのか計算しよう。その上で、事業計画書をたてて、宿泊費などの収支計画をたててみよう。ここまで考えたら、お金については人生が左右するほどのリスクはないこと、自分ひとりが生きていくだけなら、月に50名ほど泊まってもらえたら大丈夫なことがわかりました。◯将来のこと立ち上げに失敗したり、経営が立ち行かなくなったりしたら、その後はどうするのか。その時は、改めて就活をしようと考えました。また、瀬戸市に戻ってから2年以内に立ち上げることにして、期限を決めました。それなら、少子化で人材不足の企業も多いため、就職先に困ることはないだろう。新卒のうち、3人に1人が辞める時代なのだから、起業に失敗しても問題はないし、むしろ希少性が高いのではと考え、自分を納得させました。◯周りの目これまで、比較的真面目に生きてきた分、友人、両親からどう見られるのだろうか。でも、ようやく自分の関心が持てるものが見つかったタイミングだったので、自分の気持ちを優先しよう。そして、友人や両親にはきちんと話をしよう。結果的に、周りの人は心配しながらも応援してくれました。◯やめたくなったらどうするのか宿がうまくいったとして、やめたくなったらどうしようか、ということにも不安を感じていることに気が付きました。夢だったわけでもなく、まだ少しずつ気持ちが盛り上がっているだけだったからです。地域に入り込む仕事な分、やめられないのではないか? 仮にあきてしまったらどうしよう、という気持ちもありました。そこで、事業の引き継ぎ方についても想像しました。スタッフを雇用して店長のような形で任せたり、もしくは他に宿をやりたい方に事業譲渡したりすれば、地域にもきちんと筋が通せるのではと。また、仮に宿以外のことをしたくなったとしたら、何かほかに街を紹介する上で、出来る事業はないだろうかとも考えました。他の地域の事例を参考にして、空き家の不動産、ローカルメディア運営、HP制作などの情報発信サポート、陶磁器のEC販売などを想像していました。結果的に、今は「ますきち」を店長のみなみちゃんに任せて、上記あげたような事業をやっていることを考えると、この時に想像していたことがいきているのかもしれません。こうして、一つひとつ不安を分解していくことで、マイナスな要素より、プラスな感情が比較的強くなっていき、前向きに計画を立てていくことができ、瀬戸市に帰省して物件探しをすることが楽しみになっていきます。なにより、前の記事に書いた通り、それまで鬱々として、物事に関心が持てない期間が続いていたため、自分が興味を持つことのできた「ゲストハウス」へのモチベーションを大切にしようと思っていました。上にあげたいろいろな不安より、自分が目の前のことに興味を持てなくなることの方が怖かったのかもしれません。次回は、4年生の夏休みでの瀬戸市への帰省と、大学卒業してUターンしてくるまでを書く予定です。学生時代が思ったより長くなってしまいましたが、引き続き読んでもらえたら嬉しいです。