あっという間に「第92回 せともの祭」 が終了して、1週間が経ちました。日本三大やきもの祭といわれ、毎年数十万人が訪れています。今年は、町の中心部にある「せと末広町商店街」でお土産屋「ヒトツチ」をオープンして、初めての参戦。次々とやってくるお客さんに声をかけ、名古屋、静岡、大阪などあちこちからきてくださっていることを知り、「せともの祭」って、こんなに知られているんだ! という驚きと、やきものを探している方がたくさんいることに、嬉しさを感じました。お祭りの前は、瀬戸で商売をしているみなさんは、なんとなくソワソワ。そして、始まれば、ここいちばんの勝負の時! と戦闘モードへ(笑)。2日間、朝から晩まで全力で立ち続けるので、出店していたやきもの関係者のみなさん、中心市街地の商店のみなさんは、ようやく疲れが取れてきたような? といったところだと思います。「せともの祭」神事とは? さて、今年は店に立たなきゃいけないと思いつつも、ずっと気になっていた「せともの祭」の神事を見に行ってきました! 「せともの祭」のはじまりは、江戸時代に、瀬戸へ磁器の製法を広めた、磁祖と呼ばれる加藤民吉さんをたたえる祭礼が原点。実は、毎年神事が行われているのです。「せともの祭」が午前9時に始まり、熱気を帯びていく会場。そんな喧騒から少し離れた先に、神事が行われる「窯神神社」があります。窯神とは民吉さんのことで、1824年に亡くなると、2代民吉さんによって、初代民吉を丸窯神(現在は窯神)として祀るようになったそうな。昨年、生誕250周年を迎えられれています。10時を過ぎて、始まった神事の内容は、巫女さんによる舞の奉納。そして、「深川神社」の二宮あずささんが、「せともの祭」への成功祈願。続いて、「せともの祭」に関わるみなさんが、やきもの関係の組合、市長などが玉串を奉納し、名前が呼ばれると、パン、パンと手を合わせ、一礼するというものでした。民吉さんのご子孫が存在!その中に、なんと民吉さんのご子孫もいらっしゃって、本当に驚きました。ほ、ほんもの!!! たぶん私だけが、スターに会った気分で、玉串をおさめるその姿をすっごい凝視していたと思います。神事はとてもシンプルなものでしたが、興奮しました。長崎県で売られている「民吉もなか」がある!?帰りがけに、『想いを「大」キャッチ!』 がキャッチフレーズの瀬戸市議会議員の松原大介さんに、参加者のみなさんにお配りしている「民吉もなか」の存在を教えていただきました。なんでも、長崎県佐々町中心部にある「叶屋末廣」さんの商品で、民吉さんが佐々町で修業したことにちなんで、作ったとされる木の葉の形をした皿をかたどって作られているそうです。味はこしあん、ゆずあん、抹茶あんの全3種類。毎年、この日のために、取り寄せているそうです。「せともの祭」は、1932年(昭和7)に産業祭へこうした神事が、なぜ今の「せともの祭」になったのか? その由来は、大阪から瀬戸にやってきた「金時アイスクリーム」売りの森田専治という人が「大阪横堀の盛大な瀬戸物祭をどうして本場の瀬戸でやらないのだ。セトモノ応用の人形を沢山飾って、その日だけはセトモノの安売りをすれば人が集まる」と説いてまわった、といわれています。(『瀬戸市史』より)これに共感した『新愛知新聞』(現『中日新聞』)の瀬戸支局の企画により、現在の形へとなっていったそうです。はじまりが、金時アイスクリーム屋さんとは、おもしろすぎます。「せともの祭」の歴史も、かれこれ90年以上。時代が代わり、安売りはどうなんだとか、そのあり方も、まちのみなさんも思うところがいろいろあるのかなと思ったりします。でも、これだけ集客できるイベントがあるのは、すごいことだなと。今後は、もうちょっと瀬戸にまた来てもらえるようなお祭りになっていくといいなと願い、瀬戸のみなさん、どうでしょう? と締めくくります。