江川正司です。お坊さんです。はじめまして。「祥雲寺」というお寺の副住職をしております。まずは、お寺の紹介から、させていただきます。「祥雲寺」は曹洞宗、禅宗のお寺です。この地域に品野城というお城がありました。そこの城主が1541年にこの場所に別荘として創建しましたが、戦国時代を経て荒廃してしまいました。200年経って、1749年創建、赤津の「雲興寺」の28代目住職がお寺として再建しました。品野城というお城は近くの稲荷神社からケモノ道を大体20分ぐらい登っていくとあります。今は壁しか残っていませんが、自信のある方は自己責任で行ってみてください笑「祥雲寺」は上品野町にあります瀬戸の北の端っこです。岐阜県の県境にも近くて、買い物などは瀬戸市内に行くよりは多治見に行った方が近いです。三国山のふもとにあります。尾張、三河、美濃の三国の間にある山なので、三国山という名前です。お寺の山をどんどん上に上がったところに三国山展望台があります。(ギリ土岐市)展望台からはお寺は見えませんが、その下の方に「祥雲寺」があります。三国山展望台は標高が高いので、瀬戸市だけではなく名古屋市の景色も見れるのでおすすめです。「祥雲寺」は山の中、大自然の中にあります春はタケノコがたくさん取れます。タケノコって取らないと竹になってしまい、ほっておくとお寺の敷地が竹林になってしまいます。春は人間と竹のボーダーラインを守るために戦っています。夏になると草がたくさん生えてきます。今日はここ、次の日はここって感じで草を刈っていくのですが、一周刈り終わった頃には初日に草を刈ったところが草だらけになってます。秋は紅葉がきれいです。祥雲寺の参道の両脇にはもみじが生えています。もみじも全部真っ赤になるので、秋は真っ赤なもみじのトンネルができます。紅葉が終わると落ち葉になりますが、、、(このもみじのトンネルは、新緑の時もキレイです。)冬は寒いです。お寺の水屋の龍の口から水が出てるのですが、つららですごいことになります。水や風の音、鳥のさえずり、うるさいぐらいの虫やカエルの鳴き声が聞こえてきたり、夜は真っ暗なので、月の明かりで影遊びができたりと、四季を感じながら自然に囲まれて生活しています。私自身のことについて1996年生まれ、一応Z世代です。僕が一歳の時に家族で祥雲寺に入りました。あんまり記憶がないのですが、当時はボロボロのお寺だったらしいです。小さい頃は法事や行事などでお参りの人が来ると、ちょろちょろと本堂に遊んでもらいに行ったり、お小遣いを檀家さんに貰ってもお金の使い方がお賽銭しか知らないので賽銭箱に「チャリン」ってしちゃったり、インターホンがなるとなぜか一番に飛び出してきてなぜかいつでも「あけましておめでとうございます」と挨拶していたりとそんな子どもでした。27歳になった今でも、檀家さんにあんな小さい子が大きくなったねーってよく褒められます。中学と高校ではラグビー部に所属していました。ラグビーをしていた影響でニュージーランドに行きたくなって1年間交換留学生として、現地の学校に通いました。留学中に自分って意外と仏教や禅について知らないことばっかりってことを痛感しました。それまでは理系の大学に行きたいって思ってたのですが、仏教について勉強するために駒澤大学の仏教学部に進学することを決めました。(実は大学で仏教学を専門にやらなくてもお坊さんになれるんです。)在学中は「大学仏教青年連合」というインカレサークルに入っていました。大正大学や東洋大学、武蔵野大学は仏教系の大学でそれぞれの大学に仏教のサークルがありました。また、東京大学や慶應大学、早稲田大学にも仏教サークルがあります。それらのサークルが学校や宗派の枠を超えて一緒に学び合い、親睦を深めるためのサークルです。また、元々旅行が好きだったこともあり、国際交流にも興味がありました。IBYE(International Buddhist Youth Exchange)という若い世代の仏教交流プログラムにも参加していました。そして、そこで出会った友達を訪ね台湾やマレーシア、タイ、ラオス、韓国、アメリカなどでバックパッカーをして仏教を通して世界を旅してきました。そんな感じで学生時代は楽しく仏教を学んでいました。大学卒業後は横浜の大本山總持寺で1年半の修行生活をしていました。僕らの宗派には安居(あんご)という期間があります。お坊さんが一つのお寺に住み込み集団生活をしながら修行をする期間です。僕の修行生活が始まったのが令和2年の2月でした。横浜港にダイヤモンドプリンセス号がついて、その中にコロナの感染者がいると騒いでた時、この先コロナでどうなるのか全くわからない、というタイミングで僕の修行生活が始まりました。といっても、修行中はもちろんスマホを持ち込むことはできないですし、テレビや新聞なども見ることもできないので娑婆世界(外界)の情報を全く得ることができませんでした。唯一、お供えのお花を包んでいる古新聞で外の情報を得てました。時間にラグがありました。夏のお盆は実家に帰省が許されます。その時、街を歩く人がやたら少なくて、みんなマスクをつけていたことがとても印象的でした。あと、アニメ『鬼滅の刃』のブームはお寺に籠っていたので全く知らなくて、街の至るところに知らないキャラクターがいたのも驚きでした。そんな感じで1年半の修行を終えて、瀬戸に戻ってきました。修行について興味をもってくれた人はどこかで聞いてくださいね〜。留学してせっかく英語が使えるのと、もともと海外に興味があったので、修行が終わってから祥雲寺の住職になるまでの間の期間はアメリカに行って、アメリカで日本の仏教を広めたいと学生の頃から考えていました。しかし、修行が終わった時もまだコロナ禍で海外に行きにくかったり、またメタバースにはまってしまったり、「ますきち」という宿のカフェにふらっと遊びに行って、瀬戸にいる面白い人たちに出会って、そこから自分が知らなかった瀬戸の魅力に気づいたことで、瀬戸でいろいろやってみたい! という気持ちになりました。小学校は地元の品野台小学校に通っていたのですが、中学と高校は名古屋の高校に通っていて、そこから大学、修行と関東にいたので、自分が生まれた瀬戸についてほとんど知らなかった。瀬戸の良さを発見できたのは本当に良かったです! 今は瀬戸、祥雲寺に戻ってきて働きはじめて約2年になります。普段のお仕事とは別にお寺を開くこと、仏教に親しみを持ってもらうことを目標に、笑いヨガをやったり、スケボーのイベントをやったり、メタバースやったり、インターネットでラジオ配信などをしています。最後まで読んでいただきありがとうございました。連載では僕の活動やお寺目線からの地域のつながり、上品野町の穴場スポットなどについて、少しずつ語りたいと思います!