品野ってどんな所? 瀬戸市の北東に位置する品野は、岐阜県との県境も近く自然が豊かな所です。品野地区は、もともと瀬戸市ではありませんでした。合併前は上品野村や下品野村として独立しており、現在でも地元の人々は瀬戸の中心部に行くことを「瀬戸に行く」と言います。こんな山奥の村ですが、歴史があります。上品野遺跡という約三万年前の遺跡が見つかっており、昔から人々がここで生活をしてきました。これは愛知県最古の遺跡とも言われています。中馬街道とは?中馬街道は、江戸時代に中山道や下街道の脇道として利用され、名古屋・瀬戸から東濃地区を結ぶ重要なルートでした。名古屋や海浜部からは塩、魚、茶、醤油などが運ばれ、東濃からは陶器、煙草、紙などが運ばれていました。正式名称は「信州飯田街道」で、馬による陸上運輸「中馬」が盛んに行われていたため、明治時代以降「中馬街道」とも呼ばれるようになりました。上品野などには馬宿ができ、小規模な宿場町として栄えました。現在でも地域の人々に利用され、保存状態が良好なため、令和元年に文化庁の「歴史の道百選」に選ばれました。私自身も小学校時代には通学路として中馬街道を利用していましたが、その歴史的価値も当時は知らずに過ごしていました。中馬街道沿いのスポットをいくつか紹介していきたいと思います。稲荷神社上品野村の氏神様が祀られています。1625年創建で、毎年10月には地域のお祭りが開催され、各組の子どもたちが「獅子」を被って集まります。私も小学生の頃は毎年友達とお祭りに参加していました。城前橋から観音橋この道も中馬街道の一部で、馬が一頭通れるほどの道幅です。現在でも地元の人々に利用されています。ニョウライサン中品野から岩屋堂方面と赤津方面への分かれ道にあたる三叉路(T字路)に「ニョウライサン」と呼ばれる石仏群があります。地元では皮膚病を治す神仏として崇拝されています。「ニョウライサン」という名前の由来は、病苦を取り除いてくれる医薬の仏さまの「薬師如来(にょらい)」からという説や、尾張旭市にある皮膚病を治すご利益のある神社が「にょうらいさま」と呼ばれていたからなどの説があります。また、この場所は重要な分岐路になっており、当時の旅人がここで休憩した時に神仏に道中の安全を祈る場所でもありました。5丁目観音堂道で馬頭観音の石仏を目にすることがあると思います。当時道中で馬が亡くなると、馬の冥福を祈ってその場所に馬頭観音を建立しました。明治15年に街道の傍らにあった11体の観音像が集められて、現在は五丁目観音堂に祀られています。色鮮やかな観音さまで毎年町内会の役員によって、彩色されています。四丁目津島神社津島市の津島牛頭天王の分霊が祀られています。また、左右には秋葉社と山神社の小堂があります。毎年7月に行われる品野祇園祭りの謂れが書かれている看板があり、祭の際にはここでご祈祷を受けることができます。また1795年に建てられた、市内で確認される最古の常夜灯があります。品野は、普段訪れる機会が少ないかもしれませんが、歴史ある文化と現代の生活が共存する魅力的な地域です。ぜひ一度、品野に遊びにきてくださいね!